実家の片づけ①きっかけとビフォーアフター〜親も片づけはときめきで〜

はじめに

アラフォー、アラフィフ世代の友人や知人と話をするとかなりの確率で話題になる「実家の片づけ」。私も同じ悩みを持っていました。ある頃から実家に帰ると圧迫感。くつろげない。「片づけよう」と言っても「片づいている」と拒まれる。確かに床にモノがそんなに積まれているわけではない。でも、ありとあらゆるところに背丈の高い収納家具が置かれていて、モノが収納されている状態。捨てずに収納家具を増やすタイプの母。通り道もだんだんと狭くなってきてキケン。ずっと「なんとかしたい」と思っていました。

そんな悩ましい状態もあることをきっかけに母も片づけることを決心。母と娘、二人三脚の片づけ祭り(こんまり®︎メソッドで片づけ)が始まりました。振り返ったり言語化したりしていなかったのでまとめたいと、母にも相談したところ快諾。母の視点も加えました。写真もOKとのことで一部載しています。

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実家の片づけ②「母と片づけ祭りを振り返って・母の感想」

片づけ祭りの始まり

両親との「実家を片づけよう」のやり取りは、2006年には始まっていました。「書類」の片づけをした時に、当時両親に「片づけよう」と促しているメールを発見したので判明。それから数年、父がなくなり「片づけよう」は封印しました。そして母が元気になってモノの多さが気になるタイミングを待つことに。そのころは、私もまだこんまり®︎メソッドに出会っていませんし、自分の片づけも終わらせてません。でも自分では片づけられている人と思っていた頃。それから数年、片づけコンサルタントの仕事を始めて、ちょうど母も少し元気を取り戻し、モノが多いことが気になり出したタイミングがありました。

「だったら、試しに片づけてみたいモノ(カテゴリー)を一つ一緒に片づけてみない?何を片づけてみたい?」と聞いたところ「食器を片づけたい」との答え。そこで、一緒に食器を片づけることにしました。こんまり®︎メソッドでは、片づけの正しい順番があります。ただこの時は、まず母が片づけたいモノで変化を体験・体感してもらいたかったので、厳密さは求めませんでした。

最初に片づけたカテゴリーは「食器」

〜食器・片づけ前〜
まずは、全ての食器を1箇所に出す。とは言っても場所と時間がなく、毎日使う食器とお茶関係が中心。

キッチンの食器棚からリビングのありとあらゆるところに食器を運びます。母が食器棚から出して、私が全て運びました。何往復したかわかりません。そこから、一つ一つ(もしくは、セット毎に)母にときめくモノを選んでもらいました。迷うモノもその場で考えながら見極めてもらいます。

〜食器・片づけ後〜
残した食器を収納。(一部)

変化に驚いてました。何より母がときめく食器だけ。そして、取り出しやすいし、しまいやすい。後日話を聞いたら、近所のお友達を招いて食器棚を見せたそうです。よほど嬉しかったのでしょう。それから、本格的に実家の片づけを始めることになりました。ここで母のときめくモノの方向性も見えてきました。(同時に今まで母のことをよくみていなかったんだなとも反省です。)

片づけ前と後

片づけは、母が管理している1階(2LDK)と庭の物置。2人で約11ヶ月を費やしました。

〜リビング①・片づけ前〜

〜リビング①・片づけ後〜

収納家具が減ったので、使いやすいようにレイアウトも変更。

〜リビング②・片づけ前〜

収納棚がキケン。山内惠介さんのうちわが目立っています。

〜リビング②・片づけ後〜

収納棚がなくなり安全になりました。
写真はありませんが、山内惠介さんコーナーも設置。

〜物置・片づけ前〜

物置は、一番最後に片づけ。一旦全て出します。

〜物置・片づけ後〜

物置にあったモノは、99%既に役目を終えたモノたちでした。
片づけ後に収納したモノは、庭仕事で使う道具くらいです。

片づけ祭りで手放した家具
・背の高い収納棚 3つ
・テーブル 2つ
・タンス 2つ
・衣類の収納ケース 数個など


任されたこと
・片づけ方法(こんまり®︎メソッド)
・収納場所の提案・レイアウト変更の提案
・父の遺品整理(本類・書類・その他母がOKと言ったモノ)
・各カテゴリーの手放し先の選定や手配(リサイクル先、寄付先、便利屋など)


母に任せたこと
・残すモノの見極め(父の遺品含む)
・手放したモノ・資源を出す
・粗大ゴミの手配をする(数回)

片づけ祭りを終えて

70代母の希望は、できるだけ実家で長く暮らしたいというもの。であれば、母には終活でも生前整理でもなく、楽しく・安全に暮らすために片づけをして欲しいと考えました。それには「ときめくモノを選ぶ」こんまり®︎メソッドで一緒に片づけることを提案。

片づけ祭りを終えたら、母が片づけを気にすることがなくなりました。使ったモノを定位置に戻せるようになって快適そう。何より、母のときめく安全な空間ができました。いくつになってもときめく片づけはできることを実感。

正直、かなりのエネルギーと時間を使いました。どのカテゴリーも想像以上に多い。ただ、母との時間も減っていたので一緒に実家を片づけたことは、個人的にはよかったと思っています。

それでも、こんまり®︎メソッドを知らなくて、自分の片づけを終わらせた経験がなければ、途中で挫折していたと思います。片づけられたとしても、かなり遠回りして時間がもっとかかっていたことでしょう。

こんまり®︎メソッドでは、家族の片づけが気になったら「まずは自分の片づけを終わらせてください」とお伝えしています。自分のことに集中するので他の家族の散らかり具合が気にならなくなります。また、その後、実家の片づけを手伝うにしても、確かにそうだと改めて腑に落ちた事柄でした。

次回は、『実家の片づけ②「母と片づけ祭りを振り返って・母の感想」』に続きます。意識した点や親からの視点です。

最後までお読みくださり、ありがとうございます。

こんまり®︎流片づけコンサルタント
こんまり®︎流片づけインストラクター
籔田育子

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