「自分らしく」へのプロセス

「自分らしくなりたい」そう思っているけど、どうしたらそうなれるのかな?そもそも「自分らしく」って漠然としていてよくわからない、と思っていませんか。

私も以前はなかなかつかめなくて、けっこうもやもやしていた時期がありました。でも、最近「あぁ、こういうことなのかな」と感じ始めています。

そもそも「自分らしく」とは、自然体でニュートラルであること。自分のよいと思うところだけでなく、そうでないところも両方、自然と受け入れられている、気負いのないあるがままの状態。だから、ほどよくリラックスできている感じです。

快適な毎日

先日、あるセミナーに参加したときのこと。その中の一つに、自分の価値観や信念の洗い出しをするワークがありました。「受け入れられないこと」と、その「反対側にある理想」を書き出すワーク。

例えば、「見下されること」が受け入れられないこととして自分の中にあるとすると、その反対側にある理想は、「尊敬されることや尊重されること」。

私も今回受け入れられないことがいくつも出てきました。。。

その中で書き出したらはっとした価値観も。

ノートに書き出す

それは、受け入れられないこととして、「天真爛漫であることと、感情的になること」。天真爛漫に振る舞ってはいけない。感情的になってはいけない、という価値観があって、その反対側に「良識的に落ち着いて振る舞わなくてはいけない」という理想がありました。

それをシェアしたところ、講師から「以前、何かのきっかけで天真爛漫であることや感情的であることがダメなことだと言われ、それからずっとフタをしてきてしまった。でも、あるからフタをしている。」と言われたとき、

そうだ、あるんだ。なければフタをする必要がない。存在しないことにはできないんだと、腑に落ちたんです。

そして、その2つが「やっと認めてくれた。」と喜んだからなのか、心が震えていました。(セミナーなので泣きそうになるのは我慢しましたが…)

天真爛漫であること、感情的であることにずっとフタをしていた。でも思い返せば、それは存在するから、そのフタをおさえる力が弱まると突然出てくることがありました。気心知れた友人や知人と飲んだときとか、我慢が限界になった時とか。

心から理解できたとき、この2つのことを気にしない自分がいました。もうフタすることにエネルギーを使う必要もなくなったので、その分、身体の力も抜けたのを感じます。これからは、あばれて突然出てくることもなくなっていく。

受け入れたくないことにも向き合い、自分の一部だと自然と受け入れて認める。このプロセスを繰り返していくと、気づけば「自分らしく」ラクになっていくのではないかなと感じ始めています。

理想を追い求める必要もないし、自分らしくってどんなんだろうとわざわざ考える必要はないってこと。今の自分から、余計なものを取り除いていく、引き算をしていく感覚です。

シャクヤク

『あなたが受け入れられないことと、その反対側にある理想は
どんなものがありそうですか。』

最後までお読みくださりありがとうございます。
この後も素敵な時間をお過ごしください。

こんまり®︎流片づけコンサルタント
ライフコーチ
籔田育子


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